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雑文

ある詩人への挽歌

マイクル・イネスといえば、その作品の多くが国書刊行会や論叢社の単行本で刊行されており、全般的に入手しにくい作家である。
文庫となっているのは思い当たるだけで「アプルビィの事件簿」ぐらいだ。
つまりどういうことかというと、マイクル・イネスはレアである、ということだ。

そんなさなか、「ある詩人への挽歌」が再版された。
これには教養文庫版の同書を所持している私も驚きだ。
有名な「ハムレット、復讐せよ」であればともかく、よりにもよって読もうと思えば読める作品が再版されてしまった。
現在の私の心境は、以前書いた梶龍雄の最近の再版に通ずるものがある。
つまり、再版されたことへのうれしさと、旧版がレアではなくなったという落胆の意である。

となれば私がやることは一つしかない。
すでに所持している教養文庫版を読んでおくことだ。
こうしておけば、心に余裕が生まれ、どうにかなるだろう。
特に、創元推理文庫版を見かけてしまったときの息苦しさから。

読み終えての感想であるが、本作を批評することは難しい。
しかし確実に言えることは、本書を読み切ることができるのは、マイクル・イネスという作家を特別視していること、「ある詩人への挽歌」という作品に愛着を覚えていること、この両者が必要である。
そうでなければ読み進めることは困難である。
海外の作家は独特のテンポや作風が目立つが、マイクル・イネスは間違いなくその最右翼の一人に違いない。

江戸川乱歩の評価

教養文庫版でも書かれているということは、おそらく創元推理文庫版でも解説で触れられているだろう。
本作を高く評価した一人は江戸川乱歩であり、この事実が翻訳が出されたことの一つの要因となっているはずだ。

乱歩が言うに、本作の3~4割ほどがイングランド訛りで書かれており、この部分を理解することはできなかったが、それ以降は一般的な英語で書かれているという。

そのイングランド訛りで描写された部分とはおそらく、イーベル・ワンとノエル・ギルビーの供述の部分だろう。
舞台となる寒村もイングランドの田舎という設定であるため、当然そこでの原語はイングランド訛りであることは必然である。
イングランド人からしたら臨場感もひとしおのはずだ。

しかし、この両者の一人称による記述が非常に読みにくい。
雪に閉ざされた寒村キンケイグの風光明媚な描写と、隣接する古城エルカニーとそこに住む奇人変人ロナルド・ガスリーの悪辣っぷりが、教養文学的な文体で記録されており、そこがイネスの作風であると思われる。
この類の文体に親しみを覚えない限り、この部分を読み進めることは難しい。

また、事件が起きるのは後半以降になるため、そこに至るまでは正直退屈である。
現に私も、ここだけで半月ほどかけて読み終えている。
文学は私には無縁のものである。

また乱歩は、トリックに真新しさはないものの、知的な文体と趣のある描写を高く評価した。
確かに本作にはそういったトリックがあり、犯人の正体を含め、乱歩が興味を抱きそうな展開となっている。

現代において、古典とされる作品で使われたトリックに、今更真新しさを求めてはならない。
登場人物も多くなく、犯人は自然と絞られるが、そこには意外性よりも、乱歩の言う知性と趣が前面に押し出された作品といえる。

文学的なものに興味がない私であるが、読み終えてみると、本作を乱歩が評価していたことは頷ける。
あの長ったらしい「赤毛のレドメイン家」を乱歩は絶賛したが、舞台となったイタリア地方の絢爛たる描写と、一人の女の執念と姦計の恐ろしさを闇の中の虹と評している。
本作もまた、乱歩の慧眼にかなう資格があるといえよう。
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