どうやら復刊されたというステータスが功を奏したのだろう。
この梶龍雄という作家は作品とともに貴重で珍しい。
長い間、そうそう手軽に読める作家ではなかった。
そんな状態が長期間続いた現在、徳間書店が復刻させたという事実に、感慨深いものを感じていることは以前述べた。
しかし、入手困難な梶作品がいとも簡単に新刊で出てしまった。
しかもその作品はすでに私が所持している作品なのだ。
なんとも複雑な気分だ。
しかし復刊は喜びの方が多い。
そんな私にある感情が芽生えた。
それは、「龍神池の小さな死体」は他のミステリーとはわけが違う、という心境だ。
梶龍雄をどこか特別な作家の位置にもっていきたいのだ。
これも復刊されたことの影響だろう。
何はともあれ、記憶が薄れないうちに書いておこう。
・トリック
たいしたものはない。
本作では、主人公の相棒的な人物が主人公を差し置いてどんどんと推理を発展させていくが、最後の最後で主人公の推理が正しかったという展開になる。
つまり、相棒の推理と主人公の推理、二つの解釈が提示されることになるが、どちらもトリックというほどのトリックはない。
赤い杭の件はまあまあ感心したが、トリックというほどのものではない。
悪く言えば華々しさがなく、よく言えば現実的といえる。
作中の時代設定は昭和40年代で、端を発する出来事が起きたのは戦中であり、トリックの現実見も当時ならあり得るかもと感じさせるという意味でリアリティはある。
・ロジック
これもトリック同様、たいしたものはない。
犯人の偽造アリバイも、偶然に支えられたものであるため、論理性とは言い切れない。
・プロット
素晴らしいの一言。
徳間書店が復刊させた目的は、このプロットを重視したからであろうことは想像に難くない。
本作はプロットの素晴らしさのみが評価される作品と言える。
意外な真相と意外な犯人の存在は、トリックもロジックの欠点を穴埋めするほどの出来栄えだ。
犯人の動機も当初は少し大げさなものと感じられるが、読み終えるころには決して誇張したものではないことを認識させるに至る。
本作の結末は意外ではあるが、これは俗にいうどんでん返しではない。
最近では、なんでもかんでも読者を驚かせればそれでいいという風潮も少なくなく、作家は積極的にどんでん返しを狙いにくる。
しかし、そういったどんでん返しの存在は、突き詰めれば作者のさじ加減でどうにでもなってしまうテクニックであり、引くべきところを幾度も結末を変化させて、読者を辟易させる存在にもなりうる。
本作が刊行されたのは昭和50年代であり、推理小説に合理性や説得力が求められる時代だ。
少なくとも、大掛かりなトリックだけでその作品を支えることをよしとできない時代ではあった。
本作にはそういった特色を有している。
一方、現代に求められるものはエンターテイメント性のある小説である。
つまり、大トリックを仕掛けてインパクトのある作風であればそれでよしとする時代だ。
その一つがどんでん返しである。
そんなエンタメ性が求められる時代に、刊行された本作。
読者を騙せることができればそれでいい、という近年のミステリー事情に一石投じることになるだろうか。
「龍神池の小さな死体」は、推理要素のあるミステリーとしても、作中の登場人物に人間味を持たせようとする一般小説としても、優れた本格推理といえるだろう。
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