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雑文

自分が買ったお気に入りの本を紹介するだけのブログになったなぁ

晶文社の「探偵小説十戒」を買う。(あの分厚いやつ)
ノックスといえば例の十戒で好き勝手なことをまくしたてていた作家、というか聖職者だが、ヴァン・ダインの二十原則と同様、推理小説における重要な指針であると考えたことはない。

以前読んだ本(何の本かは忘れた)に、江戸川乱歩や井上一夫といった作家・翻訳家が十戒に対して、推理小説におけるセオリーとしての価値はあるが、書いてあること自体は今更言われるものでもないと批評していた。
また、あの有名な「虚無への供物」でもこれらの十戒や二十原則が作中に登場していたと記憶しているが、そもそもこの原則に沿って話を進ませること自体に違和感があった。
二十原則ではこれはNGだからこの説はなしね、といった会話が久夫のセリフであった気がする。
メタフィクションを前提とした定義を、小説の登場人物が引用するという構図はどうなのよ、とは考えたことはあった。

まあなにはともあれ、なんだかんだで珍しいので本書の存在はもちろん知ってはいた。
そんな珍しいモンが手に入ったのだからうれしいに決まっている。

この手の本はいつ東京創元社か論創社あたりが再出版するかわからないので、買うときは若干躊躇する。
だがそんなもん気にしても仕様がない。

本書はノックスが編集した原書版を再編集したもので、本来であれば20編収録されていたものを7編削除して、編者の有名な短編「動機」を加えた全14作となっている。
できれば削った7編を解説で紹介してくれれば完璧だった。

さらに欲を言うなら原書のまま翻訳してくれても問題なかった。
「37の短編」のようにティッシュ箱ぐらいの厚さでも全然かまわない。
売れるかどうかは知らんが。

ではさてどんな作品があるのかと目次を見れば、その多くが初めて目にする作家ばかりである。
別にクイーンだのカーだのバークリーだの、お決まりの作家が入っているとは思ってなかったが、収録作のほとんどが初めて翻訳されたものなのではと感じてしまうようなものばかりだ。

付けぼくろ J・D・ベレスフォード
山の秘密 C・ボベット
開いていた窓 K・R・G・ブラウン
毒薬の瓶 バーナード・ケープス
火曜ナイトクラブ アガサ・クリスティー
死の日記 マーティン・カンバーランド
誰がカステルヴェトリを殺したか ギルバート・フランコウ
夕刊最終版 ケルマン・フロスト
ガーターの夜 アーサー・ホファム
「セブン」の合図 ジョン・ハンター
犯罪の芸術家 デニス・マッケイル
圧倒的な証拠 バロネス・オルツィ
ラングドン事件 グラディス・セント・ジョン=ロウ
動機 ロナルド・A・ノックス

クリスティーとオルツィぐらいしか知らねぇ・・・。
解説によると、収録作家の多くが歴史小説やロマンス小説等の推理物以外の分野を主に執筆しており、時折推理小説も書いていたそうである。
ここで不思議に思うのが、(あの十戒で有名な)ノックスが推理小説家以外の作家ばかりで構成されるアンソロジーを編集したということだ。
ノックスが十戒をどのような心理で提示したかは不明だが、少なくとも本格推理的なフェア精神を主張したものと私は考えている。
そうであれば、例えばクイーンのような本格推理作家から選ぶのが自然であると思うが、なぜか選ばれたのが非推理作家ばかりである。

ミステリーは論理性やトリック等の制約が多々あるためか、作家として生活していかなければならない専門作家よりも、いいトリックを思いついたときだけ書けばいい専門外の作家の方ができのいい作品が多い、というケースもある。
国内作家であれば山沢晴雄や天城一等がいるが、海外作家では上記に挙げた作家こそがそれに該当する作家なのかもしれない。

私の知るかぎりではあるが、推理小説専門外の作家で優れた本格推理を執筆している海外の作家といえば、ミルンやジョージェット・ヘイヤーぐらいしか思い浮かばず、ミルンはともかくとして、ヘイヤーは比較的最近注目されるようになった作家である。
本書に収録された作品が、ノックスが取り上げるほどフェアな推理小説であるならば、それを執筆した作家たちは、たとえ非推理小説家でなくても、すでに日本で紹介されていてもいいのではないか。
なにせ、あのノックスに認められた作品の作者なのだから。

ノックスは何をもってこれら作家たちに白羽の矢を立て十戒のアンソロジーを編集したのか、読んでみるまでは分からないということになるだろうか。
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